40代での出産になった事での唯一の後悔は、父に子供を見せられなかった事です。
これからもっと高齢出産人口が増加していくでしょうから、親の高齢化は出産・育児環境に、精神的にも経済的にも社会的にも、大きな影響を与えていくことでしょう。
今までの子育て環境とは全く違う新たな世界が待っているかもしれません。
父親とはどんな存在か
出産予定月の4ヶ月前、父を看取りました。
妊娠発覚した年末、心音が確認できず落ち着かなかった正月休みに、母から「大事をとって帰省しない方がいい」と言われた頃、すでに父は癌になっていてステージ4でした。
「心配して帰ってきてしまうから知らせるな」と父が実家近くに住む弟にも口止めしていた事を後から知りました。
私は、父は近年体力低下が著しかったので、長生きは無理かもしれないけれど、里帰り出産して3か月ほどは一緒に暮らせるだろうと思っていました。
急変の知らせを聞いて実家に帰った時には、父は既に言葉を話せなくなっていました。
目もかろうじて見えるかという状態で、私の方をじっと見ているようでした。
「順調に育っているよ」と言って私のお腹に父の手を当てた時が、我が子と父が一番接近した時となりました。
マタニティマークをつけて通勤
葬式を済ませ、すぐに家に戻り、実家に帰る準備を始めました。
父のためにも絶対に無事に出産しなくてはと気負っていました。
もう間も無く産休に入るという頃は、お腹も目立っていたせいか、通勤時の電車でたくさんの人に親切にしてもらいました。
ある日、帰宅途中のターミナル駅から電車に乗り、空いていた4人向かい合わせのボックス席に座ったら、若いアジア系外国人3人がいました。
私のカバンにつけていた“お腹に赤ちゃんがいます”のマタニティマークを見て「これは何?」と聞かれたので、拙い英語でパブリックなキーホルダーだと答えました。
「こういうキーホルダーがあるのは日本の素晴らしい文化だ」と驚かれ、褒められました。
それまで、「貰ったからつけとくか」とお守りのようなものくらいにしかマタニティマークのキーホルダーを意識していなかったので、この3人の反応に驚きました。
私のようなコミュニケーション下手、主張下手にとって、この誰もがわかるマークは、私自身を見えない手で助けてくれていたのだと気づきました。

大きな手で守られている感覚がありました。
ちょっとナーバスになっていたかもしれません
産休・実家へ帰る
実家から一番近いマタニティ専門の病院に行けることになりました。
実家は自家用車がないので、検診時はマタニティタクシーを使いました。
母との同居は15年ぶり、のんびり父の話をしながら過ごしました。
体全体のむくみがひどくなり、足首がゾウのようになりました。
マタニティクリニックの先生にも人気ランキングがあって、予約がなかなか取れない先生がいてびっくり。
私は自分の予定を優先したので、ランキングは気にしませんでしたが…。
無痛分娩を希望したら「体重コントロールができていなさすぎ」と怒られましたが、結局増加は止まりませんでした。
それでも無痛分娩を希望し、出産予定日後すぐの日曜日に入院が決まりました。
まとめ
父の危篤の連絡が来るまでは、父の介護と里帰り出産が重なる事で、高齢の母の負担にならないようにしたいと思っていました。
結局、出産後は母に頼りっきりの生活になって、40代出産なので体力快復に不安がありましたが、ゆったりと過ごすことができました。
家族の優しさ、世間の優しさをたくさん感じられた時期でした。

とうとう出産間近です。
無痛分娩でも結構痛いらしいと何かで読みビクビクしていました