体に負担が少ないエクササイズで、幅広い年代に人気のピラティス。
健康志向の高まりにより、ピラティスやヨガスタジオは2036年まで、世界的にも毎年10%以上の成長率が見込まれている市場です。
参考:世界のピラティスとヨガスタジオ市場調査、規模、シェアと予測 2036年
ピラティスインストラクターとして活躍するMIZUHOさんは、会社員から40歳で転身。
キャリア10年以上、延べ5万人以上を指導し、今ではインストラクターの育成に努める一般社団法人eyelien®pilates(アイリアンピラティス)を立ち上げるなど、活躍の幅を広げています。
異業種からキャリアチェンジするに至った経緯や、仕事への向き合い方に迫ります。
インストラクターとして働く自分をイメージできた
MIZUHOさんは大学卒業後に接客業、アパレル卸売業の法人営業でキャリアを積みました。与えられた業務をこなす日々を淡々と送りながら、モヤモヤとした思いを抱えていたと当時を振り返ります。
「接客業も営業も、長く続けていきたい仕事とは思えなかったんです。自分にはもっとやるべきことがあるんじゃないかと、ずっと考えていました。しかし、それが何かは分からず悶々としていました」
30代後半となったMIZUHOさんは、女性誌でピラティスの情報を目にします。調べてみると、自宅近くにピラティススタジオがありました。
「ピラティスは、運動が苦手な自分でも驚くほど楽しかったんです。続けていくと体調が改善し、体型も変化していきました。それと同時に、頭が空っぽになるほど集中できる感覚が気持ちよかったんです」
MIZUHOさんは営業として忙しい日々を送りながら、趣味でピラティスを続けました。
大きな転機となったのは2012年。10年以上勤めていた会社が廃業することになりました。そのとき、MIZUHOさんは会社員ではなく、ピラティスインストラクターになる道を選びました。
人の多い会社への再就職は考えられなかったと振り返ります。
「前職では仕事の裁量権が大きかったので、会社員として働くことで不自由さを感じるのも嫌でした。一人で行動することに苦はないし、大学時代に行った教育実習では教える楽しさを感じていました。ですからピラティスインストラクターになることは、性格的にも合っていると思いました」
MIZUHOさんはレッスンを受けていたインストラクターから、資格取得の難しさや生計を立てる大変さを聞いていました。
しかしスタジオには、主婦からインストラクターに転身した人や、複数のスポーツクラブでレッスンを受け持つことで報酬を得る人などのロールモデルがいました。
「自分がインストラクターとして『楽しみながら』働く姿をイメージできたんです。ありがたい事に通っていたスタジオを経営している方から『資格が取れたら働いてみる?』と誘っていただき、働く場所を確保できたのも決断できた要因です」
その後、MIZUHOさんは資格取得を目指し、インストラクター養成講座を受講しました。インストラクターになるには、技術指導はもちろん、解剖学や生理学、筋肉や関節の働きなど、専門的な知識が求められます。
本格的に運動した経験も、勉強したこともなかったというMIZUHOさんは苦心しながらも1回の受験で資格を取得し、ピラティスインストラクターへの第一歩を踏み出しました。
ピラティスインストラクターの悩みに応えるために
しかし、インストラクターとして働き始めるとすぐに壁にぶつかります。
インストラクター養成講座はマットピラティスを教えられるようになるだけでも、計95時間以上の勉強をしますが、それでもそこで学んだ知識だけでは、一人ひとりに合ったエクササイズをカスタマイズできなかったのです。
MIZUHOさんは新しいお客さまと接するたびに、不安を感じるようになったと言います。
「誤ったフォームで長期間エクササイズをさせてしまうと、体の不調が悪化するかもしれないという怖さを感じました。医療行為ではないものの体を預かる仕事である以上、より深く体のメカニズムに関する知識を持たなければという責任を感じました」
知識が足りないことを痛感したMIZUHOさんは、たくさんのワークショップや勉強会に参加し、姿勢コーディネートアドバイザーなどピラティス指導に活かせる資格をいくつも取得しました。
「指導方法に悩んでいたとき、先輩インストラクターからリハビリの現場で使われるアクティブSLRという姿勢分析をピラティスに応用した方法を教えてもらいました。その結果、姿勢を維持する筋肉の強さや動きの指導がしやすくなり、お客さまの体の変化にもつながりました。それになんといっても『目の動きによる心身への影響』に注目したメンタルビジョントレーニングを学んだことで、その後の指導が劇的に変わったんです」
人間が身体的に受け取る情報の約8割は目から得たもので、最終的に脳で処理されます。そのため目と脳の関係は、運動機能とメンタルにも大きく影響します。この作用に着目したトレーニング方法をピラティスにも使えないかとMIZUHOさんは考えました。
「目の動きと筋肉はつながりがあるので、ピラティスの動きをスムーズに行うのに有効なんです。例えば、肩が痛くて上がらなかった人が目の動きを変える事によって動く範囲が広がることがあります。根本的な治療ではありませんが、目の機能によって体の一部を少しでも動かせることは、ピラティスの指導に応用できます。こんなに有用な方法なのだから、みんなが実践できたらいいのにと思って」
この経験から、MIZUHOさんは一般社団法人eyelien®pilatesを立ち上げました。そこでは効果的な姿勢分析のメソッドや、目を使ったトレーニングをピラティスに取り入れた指導方法を伝えています。
「私自身、スポーツ未経験で何も基礎がなくチャレンジしたため、指導方法を確立するまで苦労しました。私と同じようにピラティスの指導で困っている人の役に立ちたいと思い、自分の経験を伝える場所を作りました」
インストラクターの仕事は接客業でもある
ピラティスインストラクターの仕事には、お客さまとコミュニケーションを取りながら気持ちよくレッスンを受けてもらうことも含まれます。
そのため、ピラティスの知識だけでなく、接客技術を習得する必要があります。
「どんなにピラティスの知識が豊富でも、接客ができない人のもとにお客さまは集まりません。インストラクターとして生計を立てるなら、人との関わり方も大切だと思っています」
MIZUHOさんは過去に従事した接客や営業での経験を活かし、不快感を与えない声がけやお客さまとの距離感などの対人スキルもeyelien®pilatesの講座で伝えています。
さらに、ピラティスインストラクターは、ピラティスを長く続けたいというお客さまと目的を共有することも大切だとMIZUHOさんは言います。
「体の不調改善後に何をしたいか、もう一歩先の目的を聞くようにしています。例えば、膝が痛いからピラティスを始める方に、膝が治った後にしたいことを伺います。孫と旅行へ行きたいとか、美味しいものを食べに行きたいとかです。レッスン中にお客さまが少しハードに感じて大変そうなとき、目的を思い出してもらえるような声がけを意識しています」
レッスンを続ける先にある、楽しい未来を想像してもらうことも、インストラクターができるモチベーション維持の方法です。
「今できなくても、チャレンジし続けることで自分のやりたいことに近づく」という考え方は、MIZUHOさんのキャリアに向き合う姿勢にも通じています。
制限がなかったら何をしたいか考えてみる
MIZUHOさんがピラティスインストラクターという未知の分野へキャリアチェンジしたのは、ちょうど40歳のとき。
MIZUHOさんは、悶々とした状態のままでいるのは嫌だったと振り返ります。
「やりたいことを始めるのに年齢は関係ありません。50代でインストラクターになった人も知ってます。準備が整ってからでは、時間がもったいない。頭の中で考えているだけでは何も始まりません。小さな事からでいいので、待たないでやってしまうことが大切だと思います」
40代、50代で新しいことを始めるのは、誰でもハードルが高く感じるもの。
しかし、できることをやってみる、身近な人に話してみるなど、小さなアクションなら踏み出せる人も多いでしょう。
MIZUHOさんは将来のキャリアを考える際、自分の根本的な欲求について考えたと言います。
「何をしてもいいよと言われたら、生活費や子育て・介護などの心配といった制限がなかったら、本当は何をしたいんだろうと考えました。私にとっては、それがピラティスのインストラクターだったんです。ピラティスの健康への効果や集中してエクササイズする楽しさを、多くの人に伝えたいと思いました」
ピラティスインストラクターへの転身、指導法の模索を経て、一般社団法人を設立。
自分の欲求に正面から向き合って進んできたMIZUHOさんの歩みは、未だ道半ばだと言います。
「まだまだやりたいことがたくさんあります。でも、これまで人生の中でやってきたことは一つも無駄になっていません。どんな仕事でも、今までやってきたことはどこかで活かせると思っています。今後は、お客さまに満足してもらうエクササイズ指導を続けるだけでなく、インストラクターの相談を受ける場作りもしていきたいです」
未経験から出発し、多くの悩みを経験してきたからこそ、レッスンを受けるお客さまや指導法を学ぶ講座生に寄り添える指導者となったMIZUHOさん。
これからも多くの人を励まし、勇気づけるレッスンを展開し続けていくのでしょう。
MIZUHOさんの詳しい活動内容はこちらからご覧になれます。
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