これは記録として書いていく予定なので、情報ソースにはならないかもしれません。
でも私自身、多くの子育てブロガーさんの記事を読んで、勇気づけられ、励まされました。
育児ノイローゼかも…と思うような本当に辛い時期に助けてもらいました。
今、辛い時期を経験されているたくさんのママたち!
一緒に頑張りましょう!
思いもよらない40代突入
私の場合、40歳になる年の正月あたりから人生が大きく動きました。
- 40歳 東京で結婚
- 41歳 夫転勤で地方都市へ引っ越し
- 42歳 妊娠
- 43歳 自然分娩で出産
書いてみると改めて、急展開だったなぁと感じます
引っ越し先で再就職し、仕事に追われる生活を送っていました。
その生活にだんだん疲れてきてしまっている時期でした。
妊娠についての考えは
正直、子供が欲しいという気持ちは強い方ではありませんでした。
私は幼稚園〜小学校までいじめられっ子でした。
それに、2つ下の弟がやんちゃで母親がつきっきりだったので、良い子だった私は母親からほっとかれていました。
母親に抱っこされた記憶がありません。(写真は残っていますが)
自分が母親になって、ほっとかれていたわけではないのは理解できますし、母も大変だっただろうと思います。
もちろん子供とはいえ、違う人格なのですから、同じような人生にはならないことは理解しているつもりです。
それでも子供時代はきっとツライ事ばかり、子供の母親になっても私の子は苦労しそうという気持ちが拭えませんでした。
また、友人たちから不妊治療のことを聞いていて、実際に始めるなら覚悟がいるということも知っていました。
しかし、リミットが近づいてきていました。
43歳からは不妊治療助成対象外になります。
42歳まであと2年弱。
何もしなくて、本当に後悔しないだろうか…という迷いがありました。
夫は不妊治療はしなくていい、自然に任せるという考え方でした。
それに同意しつつも、ずっとモヤモヤとしていました。
妊娠確認までの過程
本当に本当に本当にラッキーなことに自然妊娠しました。
42歳の12月でした。
妊娠検査薬で確認後、産婦人科に行ったのですが、1回目の診断で心音を確認できませんでした。
年齢的にも何があってもおかしくありません。
不安でどうにかなりそうでした。
高齢出産でのリスクはずっと考えていました。
- 流産のリスクが高まる
- ダウン症などの先天異常のリスクが高まる
- 母体へのダメージが大きい
- 難産になる恐れがある
正月明けすぐに再度検査の予約を取りましたが、毎日泣くのをこらえている状態でした。
関東の実家に連絡すると、母からは、大事を取って帰省をしないほうが良いよと言われ、検査の日を待ちました。
2回目の検査で心音確認。泣きました。
40を過ぎて、こんなにも感情を揺さぶられる経験をすることになるとは思いもよりませんでした。
この後、もっともっと感情の振り幅が大きくなっていくことになります。
つわり、そして運転練習始める
つわりはそれなりにしんどかったですが、思い返すと平均的でした。
気持ち悪くて何もする気が起きないけれど、仕事もあり家事もありで休み休み何とかこなしていました。
ここで大きな問題に気づきます。
関東の郊外で実家に車の無い家に育ち、自転車と電車のみで生活を送ってきた私。
地方都市への移住の際は夫と話し合い、自転車ですべて事足りる場所で生活していました。
しかし、子供ができるということは車の運転は必須!
実家近くの環境では、遊園地も大きな公園も電車で行くのが当たり前でしたが、私の今いる場所で検索すると駅から行ける場所はない!
バスもタクシーも結構使える場所でしたが、ここでは補助的なツールでしかなく、どこへ行くにもみんな車だよね…。
さあ、18の時なんとなく取っておいた免許が役に立つ時がきました。
が、20年以上のペーパードライバーはどう復活すればいいか。
4つある市内の教習所のうち、ペーパードライバー対象の教習をしているのは1か所。
車社会ですから、ペーパードライバーはほとんどいないんでしょう。
その教習所まで自転車で片道20分!
妊娠中なのにどうすればいいんだよ……。
ということで、夫に誰も通らなそうな田舎道まで車で行ってもらって(夫は関東人ですが運転します)運転練習を開始しました。
会社の人に運転時に必要な心構えや事故の体験談をいろいろ聞いて、少しずつ練習をしていきました。
「車の運転に必要なのは反射神経ではなく、判断力」
「みんな確かに毎日運転してるけど、本当に運転が上手い人は少ない」
今でも反芻している人生における名言です。
いまだに長距離運転は怖くてしていません。
妊娠したことで、急に多くの判断を迫られて
必死だったことを思い出します
次回は仕事にまつわるお話です。